ichikiyoのランラン日誌--2002年10月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度分/Km 時速Km/h ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 10 6 10:30 第17回白井梨マラソン大会 快晴 相当暑い 10 00:49:00  4:54 12.24   快調 171 196 187 第17回白井梨マラソン大会。参加者は、鈴木、逸見・山口仁・中村、山口幸、陶山と自分。陶山さんは、ホノルルへの申し込みをしてしまったため、引くに引けなくなっての覚悟の出場。今後手賀沼にも渡瀬にもすでにエントリー済みとのことである。河本先生は体調不良により、宮本さんは都合が突かなくなりそれぞれ欠場。
朝方は霧が出て寒いほどだったが、会場に向かう電車の中から見る外の景色はどんどん明るくなっていき、会場へ着く頃にはカンカン照りの快晴状態になり、暑い大会となった。
先週の土曜日のランで右膝を痛め、翌日は自宅でベルリンマラソン中継を観戦しながらステッパーで約1時間。それ以来である。そのため、ちょっと心配な右膝を中心にチタンテープを貼り、またサロメチールを膝や腿、ふくらはぎに塗りたくった。このサロメチールが失敗で、終了後、暑い中で、このサロメチールが熱を発散して熱くて困ってしまった。
5キロの出場者がいないのに9時頃までには会場に到着していたため、10時半の10キロの部のスタートまで例によって延々と待たされる。そのためここで油断したのがいけなかったのか、スタート地点へ並ぶのが10分前。すでに多数の選手が並んでおり、後ろからのスタートとなってしまった。
陸上競技場を一周してから道路に出るコースであるが、この一周している間、まったく身動きがとれずだらだらのスタートとなる。自分は仲間の中でも更に後ろで、陶山さんと並んでのスタート。道路に出てからも道幅が狭くて前に行けない。2キロで時間を見ると何と11分近くも掛かっていた。ここで陶山さんには申し訳ないが一人旅を決意して、先行している逸見さんを猛然と追いかけ始めた。逸見さん以外の仲間はユニフォームが目立たないので、追いかけようがないとあきらめているのである。しかし、前へ前へと進んでも逸見さんの姿は見えない。追い抜きにくい混雑の中で無理に追い抜いていくので、急発進急ハンドルの連続で、体に負担が掛かる。ようやく5キロ前の給水所を過ぎたあたりで逸見さんの姿を捕らえた。しかし、暑さとこれまでの追い上げとで体はアップアップ。足の筋肉は大丈夫なのに心肺機能が付いていけないという状態になっていた。そのため、逸見さんの姿が見える距離を維持しながら周りのスピードにあわせて走る作戦に切り替える。これでしばらく休息すれば、元気が充電できると踏んだのである。その後、更に2キロほどしたたとろで後ろから中村岩ちゃんに声を掛けられる。暑いねという話しをしながら、岩ちゃんは逸見さんがバテているとの進言。自分もバテていると返答する。しばらく併走していたが、どうぞお先にと促し先行してもらう。そのまま次第に逸見さんに近づいて行ったが、8キロ過ぎに逸見さんが後ろから追走する自分に気付き、先に行けと合図。どうも、自分の咳払いで分かったらしい。しかし自分もバテていたので、駄目だとの会話。しかし、裏道から陸上競技場への取り付け道路に入ったところで自分はスパート。取り付け道路のアップダウンを快調に飛ばし、陸上競技場へ。そのまま何人かを抜いてゴールした。
しかしネットタイムはちょうど49分。スタート直後に大幅にタイムロスしたことを考えれば、やむを得なかったか。梨の出場者はゆっくり派が多いので、まともに走るためには、前にならばなければいけないということだ。また、気温が高かったことは今回の大誤算であった。
仲間内では岩ちゃんが1位、自分が2位、その後は逸見さん、山口仁さん、鈴木先生、山口幸さん、陶山さんの順位。陶山さんは、ゆっくり走れと指導した通りのペースで楽に走っている感じだった。ホノルルへ向けていよいよ始動というところである。
終了後、津田沼で昨年の店「鹿鳴館」を探したが見つからず、やむなく以前行ったことのある「粉と水」へ。しかし、ワインが数・種とも少ないなど、若干期待はずれ。その後、鈴木・逸見・山口仁の4人でパルコレストランで更に飲んだ。
02 10 27 10: 0 手賀沼エコマラソン 快晴晴れ 少し暑い 21.0975 02:01:32  5:45 10.41           白井梨マラソンから3週間、この間、全く走っていなかったため、本当に久し振りのランである。そのため、パルスグラフのスタートボタンとラップボタンを間違えて押してしまったほど。スタートラインに達するまでにこれに気付いたので、スタートライン通過時にスタートボタンを押した。
朝の内は涼しそうと思っていたがスタート時刻までに晴れ、気温がどんどん上がっていった。結果的には残暑の中のレースの様相を呈することになった。その割には給水所が少なく、参加者は大分文句を言っていた。4カ所の給水所の、それぞれ中間にもう一カ所ずつ必要という感じだった。特に遅いランナーは、水もエネルゲンもなくなってしまったなどというひどい話しを後で聞かされた。手賀沼エコマラソンはいつも、何かしらひどいちょんぼのある大会である。去年は荷物預けのシステムがおかしく、レース後の荷物の受け取りに何十分も待たされるなどというひどい状態になったが、どうなっているのかという感じである。今年はこれ自体は間然されていたが(但し、荷物の盗難防止という観点からは事故が無かったことは不思議という感じがしないでもない。悪意ある人にかかったら事故は発生していただろう)、今年は給水であった。
自分は久し振りのランだったため、足は軽かったのだが、いわゆる軽すぎる状態だったのだと思われる。走り込んでいなかったため。8`までは例によって逸見さんの後ろから付いていったのだが、まさに8`地点、手賀大橋を渡り、左折して直線に入ったあたりで急激に足が動かなくなってしまった。走り込んでいないことのツケであるが、それまでの8`とは全く違う走りになってしまった。`5分どころでなく`6分に落ち、更に14、5`あたりになると更に落ちて`7分くらいまで落ちていった。もちろんいつものようにラストスパートする気持ちはあったのだが、到底ラストスパートができる状況ではなく、足を引きずる状態になってしまった。それでもラスト500メートルあたりで、後ろから他のランナーに追い抜かれたのをきっかけに自分なりのスパートを掛けた。といっても足には余力が無くなっていたので、上体、特に腕の振りに引っ張っていってもらい、足はついていくだけというと形のスパートとなった。もとよりスパートといっても、何かしらもたもたしたようなスパート。それでも最後の50メートル位は、最後の力を振り絞って足の筋肉も使ったスパートをしたが、その結果、ゴール後、立ち止まった直後から、足全体に痙攣が始まってしまった。いつも痙攣する腿の表側、裏側はもとより、ふくらはぎまでこむら返りのような痙攣。それだけでなく、何と腿の横の筋肉が痙攣した。それも両側ともである。この横の痙攣は、ストレッチのしようが無く、どうしたら痙攣を抑えることができるのかも分からず、ゴールのすぐ先で立ちすくんだように、しばらくひどい痙攣と戦い続けるという、変なゴールになってしまった。見ている人がいたら、何だろうと思っただろうか。
結局2時間を切れないというひどいタイムだったが、これは初心者時代を含めて、ハーフでの最悪の成績ではないかと思われる。完走しただけで立派というようなタイムである。
練習しないことのツケを初めて身にしみて感じたレースであった。
この日、調子が良かったのは中村岩ちゃん、1時間39分。逸見さんが2番であった。岩ちゃんは、サンスポで1時間36分台という記録を持っているが、手賀沼はサンスポと比べてアップダウンがあること、気温が高かったことなどを考慮すると、実質的にはこれが最も良い記録かも知れない。
仲間では河本先生なども結構時間が掛かり3時間くらい掛かったようであるが、自分は、痙攣ですっかり疲れ果てていたため、待つ間、土手の上でしっかりと眠り込んでしまった。
今年の手賀沼はコースが変更され、手賀大橋を2回渡る8の字コースに変更になり、これまで名物のようになっていた二松学舎前の大きなアップダウンがなくなった。ところが、走ってみると、手賀大橋のアップダウンだけでなく、その他の小さな橋のアップダウンがいくつもある上に、道路上にも長い坂があるなど、全体にアップダウンが多く、むしろ以前よりも坂のイメージが強かった。暑さと共に、このアップダウンがランナーを苦しめる原因となっていた。
終了後は、柏駅前のいつもの焼き肉屋。今回ははしごはなく、この1軒だけだったが、河本先生の話では帰りの東武の中で宮本さんが吐いてしまったというほど(自分も一緒にいた筈なのに記憶がない)、疲れていた上に、結構飲んだようである。

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