ichikiyoのランラン日誌--99年3月

時間帯 場所 天候 気温 距離 所要時間 分秒/` 時速` ペース 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
99 3 5 池2周 快晴 快適 5.6 00:24:26 4分21秒 13.8 がんばり 普通 152 174 198 久しぶりの朝練習。あさっては佐倉マラソン本番なのに、いろいろあったため全く走れていない。焦ってのラン。但し、時間がないので、2周で切り上げてしまった。これからは、7時半の朝ドラを見てから1時間走ることにしよう。
走ったら、再び背中のコリが出てきた。遊走腎だか何だか不安にはなる。
二周しかできないと思っていたので、最初から結構入れ込んで走った。ウォーミングアップなしでは良くないかも知れないが、結構暖かい感じなので無理を聞かせてしまった感じである。それでも、平均してキロ4分21秒。速くなるのは大変だ。佐倉では、少なくともこのペース以上で10キロを走り抜こう。
99 3 7 第18回佐倉朝日健康マラソン 曇り 8℃ 10 00:44:22 4分26秒 13.5 がんばり 快調 183 204 197 グロスタイムは44分30秒。22秒はロスタイムを引いたもの。前半5キロのラップは21分40秒。キロ4分20秒。後半5キロのラップは22分40秒。キロ4分32秒。後半は、急な上り坂があることを入れれば、ほぼイーブンのタイムで走れたことになる。
今回は、最初から早めに前の方に並び、30から45分のプラカードのところに。スタートラインまでのロスタイムを8秒に抑えて、スタートダッシュのロスをできるだけ少なくする作戦に出た。マジに記録を狙うつもりだった。河本先生以外は、全員同じ場所。号砲とともに走り出したが、やはり先頭集団は速い。これにおいて行かれないようにダッシュするのは、いつものレースにない経験だったので小気味よかった。こちらも飛ばす。競技場を出て、坂を下るが、体調はよい。山口さんがどんどんぶっ飛ばして、あっという間に引き離された。山口さんのスピードを実感させられた次第。ところが、しばらくして佐倉駅までの長い上りで、いつの間にか山口さんに追いついてしまった。どうも体調が良くないようで、他のランナーにも抜かれている。山口さんを抜くなどと言うことは全く考えていなかったので驚いたが、結婚騒動で2ヶ月ばかり練習していないという話を聞いていたこともあり、これは山口さんに異変ありと見しるかなかった。そこで、坂の途中で山口さんを抜いた。ちょっと見たが、必死に走っているようで、ぼくには気づいていないようだった。そのまま駅に突進し、最初の5キロま で、とにかく必死で走ることにした。目標は全体でキロ4分半、45分を切ることだったが、そのためには、とにかく5キロまで22分半で行かなくてはならない。後半はやけくそで走るしかないと決めた。
駅前で、風邪のため応援に回っていた宮本さんの声援を受けてがんばる。5キロをすぎても結構走れていた。そのまま田圃道に出た。ここは長い一本道なので、ついダレるところだが、一人でもたくさん抜くと決めて走る。すると抜かれた人が盛り返して来て、一騎打ちのような状態になる。左に、50才くらいのおじさんががんばっていて、抜かれまいと必死に食い下がってくる。これは良い競争相手ができたとばかり、こちらもムキになって食い下がる。結局、この勝負は田圃道が終わるところまで続いた(自分が置いて行かれた)。しかし、田圃道でダレなかったのは、全体のタイムづくりにとってラッキーだった。あちらのおじさんも、こちらの存在を利用してがんばったに違いないと思う。田圃道が終わればゴールはすぐだ。気を抜かずに、死にものぐるいで走った。ラストの上り坂がきつかったが、自分にしては結構の速さで上っていった。どうも上り坂に弱い。登り切って、平坦路に出れば勝負になる。陸上競技場に戻ってからの外周1.5周では、何人抜いただろう。さすがに速い連中の中に入っていたので、いつものように牛蒡抜きとは行かない。それでも5、6人は抜いた。最後まで抜かして くれなかったお兄ちゃんをゴール前の外周最後で抜き、そのままゴールした。
湯川さんが競技実行委員をしていて、自分のゴールを見守っていてくれたので、結構力が入った。予想外の記録も出て、収穫の多い大会だった。
99 3 20 池4周 酷寒 10 00:56:43 5分40秒 10.6 LSD+がんばり 普通 150 196 183 佐倉マラソン以来、2週間ぶりのラン。この間、風邪を引いて寝込んだり、いろいろあって、すっかり走る生活が崩れてしまっていた。来週は東京荒川のフルマラソン。走り込み不足をひしひしと感じ、内心は穏やかではない。何とかしなくてはと思いながら、ようやくランニングウェアに着替えることができた。
久しぶりなので、いきなり速く走ることは止め、とにかくゆっくり走ることとした。脈拍を140ちょっとに保つように走った。その結果、黙っていると脈拍は疲れとともに上がってしまうので、速度を徐々に落とす感じとなる。上がってしまったら速度を落とし、上がってしまったら速度を落とした。
まあ、そういう意味では、パルスグラフの使い方も、板に付いてきたのかも知れない。大分、上手に脈拍調節ができるようになってきた。
最後の一周は、逆に思いっきり走ることとする。思いっきりといっても、ストライドを伸ばして、腰を落とさずにという程度だが、結果的に、`5分をやっと切った程度だったのには驚いた。先日の佐倉では、10キロ平均で`4分半を切っていたので、これと比べて、今日の遅さに驚かされたのである。佐倉のときに、どうしてあんなエネルギーが出たのか、自分でも不思議である。それとも、その後のサボリのために、本当に足がなまってしまっているのかも知れない。
走りはじめは、霧雨のようだったが、次第に雨が本格的になってくる。走り初めてすぐに、例によって手袋を忘れたことに気づいた。気温の低さだけでなく、雨まで降っているので、手袋と、手袋カバーは必須のはずだった。一周目は、この手先の寒さが応えていたが、2周目には少し改善。身体が暖まってきたからだろうと、少々安堵する。ところが、雨が次第に強くなって来るに従って、身体が冷え、手先はもっと冷えて、どうしようもなくなっていった。3周目の半ば頃からは、両手の感覚がなくなり、さらに手首から先が痛くなってきた。4周目をがんばりペースにしたのも、早く上がりたいという気持ちがあったからである。完全防備にして、後顧の憂いが無くならねば、思いっきり走ることなどできないと、妙に合点した次第であった。
99 3 22 昼間 池9周 曇り 肌寒い 21.4 02:15:00 6分18秒 9.5 LSD 疲れている 147 215 177 五周目14:04、脈179、ピッチ176。六周目13:53、脈153、ピッチ179、七周目13:59、脈156、ピッチ179、八周目14:51、脈133、ピッチ178、ラスト九周目11:30、脈182、ピッチ230。
春分の日の振替休日。
来週のフルに向けて久しぶりのLSDである。結構きついが、MDを聞きながら、マイペースでだらだら走った。一昨日は一周14分程度の速度でも脈拍は140ちょっとで推移していたが、今回は脈拍が150を越えてしまった。結局、身体に負担になるとどうしても脈拍は上がってしまうもののようで、一昨日久しぶりに走ったことによる疲労が残っているために脈拍が上がってしまったもののようである。
脈拍は、8周目はじめに突然跳ね上がって、210にまでなってしまった。それ以前と全く走り方には変更が無かったのでこれには驚いたが、しばらく続いた後、8周目の終わり頃にはどんどん下がっていき、今度は100以下にまで下がってしまうなど、いわゆる乱高下。その後、九周目に`5分ペースでラストスパートしたところ、これに釣られるように元のペースに戻った。原因は不明であるが、どうもパルスグラフの変調ではなく、本当に脈拍が乱高下したような気がする。つまり、一定の負荷の継続で、これに刺激された身体が耐えきれずに脈拍を上げて対応するが、その後、この脈拍上昇を抑えようとする作用が極端となり、一時的に100以下にまで下がってしまう。しかし、これが過ぎると再度調節がうまくいって、元に戻るということではないか。この間に、脈拍作用が鍛えられるということではないか。などと思いながら走っていた。
LSDをやりながらLSDに関する川柳などもひねった。ランナーズの川柳コーナーに送ってみよう。
いつもウォーキングしているおじいさんと擦れ違ったとき挨拶されたので、こちらも挨拶した。初めての挨拶である。その後、何度も擦れ違ったが、最後に擦れ違ったとき、向こうから声をかけられた。「4周目ですか」と聞かれたのである。予想外だったので一瞬びっくくりしたが、「9周目です」と応えたら、「えー?」と思いっきり驚かれてしまった。一周2.3`なので、自分以外には9周もする人は皆無なのである。せいぜい2周程度が相場である。そういえば、去年の春、団地自治会役員のお花見の横を通り抜けた際、4周目までは黙殺していた人から、5周目に拍手をもらったっけ。今年もそろそろお花見の時期である。あれからもう一年かと思うと、本当に月日がたつのは早いものだと驚く。
99 3 28 第2回東京荒川市民マラソン 曇り 9.5゜ 42.195 04:12:30 5分59秒 10 普通 140 195 186 前日までの穏やかな天候と打って変わって気温が低下。スタート時は9.5℃。湿度60パーセントであった。
フル4回目のマラソンである。6日前にハーフ相当のLSDをやったのが響いたのか、足の状態は結構、重たい。4時間切りを目標にしていたが、この状態では到底無理だなと言うのが、走り初めて最初の感想であった。
スタート後、しばらく流れのままに走っていたが、最初の折り返しである約15`地点まで`6分もかかっていた。折り返しで、折り返してくる山口さん、逸見さんと会ったが大分話されていることを痛感。何とかしなければとピッチを上げるが、なかなか上がらない。`5分半を目指したが、結構足が重い。そのまま、ずるずる走ってしまった。前回は25`付近で左足腿が痙攣し始めたが、そして那覇でも30`付近で同様になったが、今回は25`を過ぎても30`を過ぎても痙攣がこない。これは大分慣れてきたなと喜んでいたが、結局、36`過ぎで、やはり左足腿の痙攣が始まって屈伸運動せざるを得なくなった。どうして左足腿なのかは不明である。
スタートのロスタイムは4分23秒。最初の5分が31分ちょうど、これは大渋滞の所為か。10キロまでが28分34秒、15`までも全く同様の28分34秒、20`までは27分10秒、25`までは22分40秒、30`までは28分56秒、35`までは29分37秒、40`までは33分43秒、ラストが16分40秒である。
最初出足でつまずいたが、何とか挽回しようと15`過ぎにがんばったがすぐに息切れして、35`過ぎからはメロメロ状態になっていたことが数字の上からもはっきりしている。
走っているときはさほどでも無かったが、走り終わった後で急激に寒さを感じるようになり、サンスポの時と同様に両手指が痺れてしまったのには驚いた。これは暖めても直らず、しばらくして熱燗を飲み、つまみを口にしたら急激に回復した。今回はサンスポの時ほど寒くなかったこともあり、原因はよく分からない。
参加者は、鈴木、逸見、山口の他、河本先生が初めてフルを完走した。那覇では31.5`で競技中止にされてしまったが、今回は、那覇でも十分に完走できた5時間40分台の成績。大いに自身をつけていた。仲間では、山口さんが前回の佐倉の雪辱を期してがんばった結果、何とか4時間を切った模様。この日のために特訓して体重を2`も落としたそうである。相変わらずやることが激しく徹底している。逸見さんは、自分より若干早かっただけとのことだが、最後、足に来て歩いてしまったために、自分が追い上げたということらしい。鈴木先生もそこそこの時間だった。参加者の中では河本先生だけが気を吐いていた感じである。柴田先生が応援に駆けつけてくれたとのことであるが、逸見さん以外は誰も気づくことができず、柴田先生も自分らの走る姿が分からなかったようである。

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