ichikiyoのランラン日誌--2002年12月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度分/Km 時速Km/h ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 12 8 5: 0 第30回JALホノルルマラソン 晴れ 快適 42.195 04:05:45 5:49 10.3 レ|スペ|ス 快調       2回目のホノルルマラソンである。自分の他、鈴木・河本・逸見・山口・河野・木村の合計7名の参加である。
6日夜9時前に成田を出発して、同日の朝ホノルルに到着した。時差は19時間(一日違いの5時間差)。
ホノルルマラソンのスタートは例によって、まだ真っ暗な午前5時である。号砲と同時に派手な花火がひとしきり打ち上げられる。スタート直後はクリスマスのイルミネーションがきれいなダウンタウンを走り抜ける。
今回は、国際武道大学前河先生の案内で行った前日のコース下見でのアドバイスを受け、最初から最前部に並んだ。絶対に前に並んでください、というアドバイスは、自分たちの要求とぴったり合ったため、極めて意を強くしたのである。
そのため、トップから50メートル以内の高位置をキープしてのスタート。
お陰で、号砲(花火)からそう遅れずに走り始めることができ、更に走り自体も周りにあまり邪魔されずに済んだ。
毎年、ホノルルマラソンは、タレントが走り、それをテレビで放映するのが恒であるが、今回は、長谷川理恵の他、タレントの永井大が走った。TBSで1月13日に放送するとのことである。
ところが、この永井大と、これを囲む集団の存在に4`地点位で気付いた。
横にカメラを積んだTBSの車が併走している。しかし、大集団で、かつ暗いため、見失わないように一緒に走っているスタッフが二人ほど、体に風船を付けて走っている。これだと遠くからでもどこにいるのかがすぐに分かる。何となくすぐ横に並んでしまったので、これらの集団を観察しながら併走する。自分のペースとほぼ同じなので、ちょうど良いペースメーカーだとばかり、そのまま一緒に走っていった。テレビで放映するためか、永井大は何かをしゃべっていたり、付近の関係者、あるいはランナーなどとし、何かを話しながら走っていた。ワイキキを過ぎカビオラニ公園。更にダイアモンドヘッド横の上り坂あたりも一緒である。しかし、ここを過ぎてカハラ地区にでたところでスピードを上げたようで先に行かれた。見ると、いつの間にか風船が50メートルも前にいただろうか。何となく、無理しないようにこれを追いかけた。ところが、カハラ地区を過ぎてハイウェイに入った頃から、何となく永井大の集団の速度が落ちたような感じで、間もなく追いついてしまった。それどころか、ハーフ地点あたりでは、彼らは急速に遅れ始めた。最初は何かの間違いかと思って付いていたが、足のダメージなどで完全に遅れているようである。このままではこちらのタイムにも影響するので、ここで見切りを付けて勝手に進んだ。結局、5時間を大分オーバーしてのゴールだったようである。初めてのマラソンだったようであるが、誰でも最初は元気であることを地でいったような不本意なレースだったようである。
なお、後日、1/13のテレビ番組で、この永井大と長谷川理恵などのホノルルマラソンの番組が流されたが、何と、未明のダウンタウンを永井大らと一緒に走る自分の姿がテレビに映し出されていた(暗かったのに、テレビ用の照明のためか、自分のゼッケンまで読める)。
一方、長谷川理恵は前日にナイキショップの前の特設会場でトークショーを行うなどしていた。
さて、マラソンに戻る。
3`付近までは、逸見さん、木村さんと一緒であった。木村さんは初のマラソン。しかも、練習と言えば、一度10`を走っただけという。それだけでも極めて無謀な感じであるが、その木村さんが逸見さんに付いていっているようだった。もちろん逸見さんはそんなことにはお構いなく、マイペースを守っているので、結構なスピードである。自分は心配になり、逸見さんに付いていくと潰れるぞと意見した。しかし、木村さんは頑として付いていこうとしていたので、それ以上は意見せず、見ていることにした。その内、距離表示を見ると、どうも`6分近く掛かっていることが分かり、このままでは大変なこととなると考えて二人から離れてピッチを上げた。
前回と違い、ダイアモンドヘッドの上りではストップさせられなかった。前回は、車いす走者の帰路に出会ったための規制だったが、今回はダイアモンドヘッド坂を上りきって下りはじめたあたりで1人の走者とすれ違った。前回と比べて、若干、自分のペースが速いための誤差のようであった。明るくなったのはカハラ地区を回って、高速道路に入るあたり。したがって、日の出には遭遇しなかった。
給水所には、水とアミノバイタルウォーターチャージ、それとスポンジだけであった。パンなどの給食はなかった。来れども来れども同じアミノバイタルウォーターチャージなので、他の参加者はこぼしていたが、自分は、アミノバイタルウォーターチャージはランニングには好都合だとして、毎回のように摂った。
今回は、最終盤の給水所で立ち止まったことがあった他は、歩きゼロ。痙攣が来なかったのが、完走できた理由かも知れない。痙攣は、25`手前あたりで、軽い前駆症状が左足腿表内側のいつもの部分に感じたが、一瞬のことで、無視していたらなくなってしまった。
35`付近で、前の人がアイスキャンディーをもらっているように見えたため自分も手を出したら、何と細身のエアーサロンパスだったのには驚いた。やむなく、というかついでなので、両足の表裏にざっとエアーサロンパスを吹きかけさせてもらった。アイスキャンディーに見えたのには、よほど暑かったか、喉が渇いていたかであろうか。
ハイウェイを終了し、カハラ地区に入り、痙攣も来ないので、この際スピードを上げたいとは思ったものの何故か上がらない。痙攣こそ来ていないものの、やはり疲労の色は否定できないもののようである。走れるのだが、足が嫌がっているような感じである。高級住宅地のカハラ地区では、家の前にテーブルとイスを出してランナーに応援する人の姿があちこちにある。しかし、ここいらへんも、売りに出ている家が結構あるとの前日の話しだった。アメリカも不景気なのか、日本の不景気の影響かは分からないが。そういえば、コースの最東端のハワイカイ地区の別荘地でも、日本人などが手放す物件が結構あるようである。
カハラ地区では、ビールのサービスが目立つ。学生のような若者がたくさん出て、小さな紙コップにビールを入れて振る舞っている。これは更にダイアモンドヘッドの帰路の上りでも見かけた。この付近のランナーは地面ばかり見て走るだろうことを予測し、地面にチョークで「BEER」などと書き、矢印を引っ張って左側へ来るように案内していた。コーヒーならもらうのにどうしてビールなのか理解できないが、ここでビールを飲んだら、どうなってしまうのだろうかと、後で仲間でわいわいやった。
気温は、スタート前は若干低かったが、それほどでもなく、もらっていたビニール袋のウィンドブレーカーも走り始める直前にはしまってしまった。その後は、全く寒くなく、少しずつ暑くなっていった。自分がゴールした9時頃までには、23度前後まで上がっていたかも知れない。昼過ぎには25度を過ぎるので遅いランナーは大変である。
今回はゴールをだまされることはなかった。前回のように、ゴールの前にゴールもどきはなかったし、今度はだまされないと心の準備ができていた。しかし、スピードは上がらない。何とか4時間を切りたいと思っていたものの、これもダイアモンドヘッドを登り切ったあたりで事実上不可能であることを知り、がっかりしていた。そうなると後は、改めての気力も生まれず、速度を落とさないようにすることだけになってしまった。ゴールへ向かうカピオラニ公園の直線道路には、両側を応援の人で埋め尽くされている。前回は、ゴールを勘違いしながらもビクトリーロードを凱旋ランしたが、今回は何ができるか、自分の足と相談しながらできるだけみっともなくないように走ろうとだけは心がけていた。ゴールの200メートル程前で、突然、「ランナーズ!」の大きな集団の叫び声が右側から聞こえ、見るとツァーからの応援団が幟を振っている。驚いて手を挙げ大きくガッツポーズをして応えた。ランナーズツァーで参加したので、配給されたランシャツを着ているランナーを捜して声をかけてくれるのである。
ゴール後、ランナーズテントでは例によってカレーライスが振る舞われたが、自分はお腹が大分空いていたので、とてもおいしく食べた。後から来た仲間の中では若干不評だったようだが、やはり食事は腹が減っていればとにかくありがたいものだ。
結局、自分は、目標タイムには届かなかったものの、仲間内では一番。ただし、逸見さんが前日、道路の段差で転び、足首をねんざしており、これが災いしたか、いつもより大幅に時間が掛かっていたことを考えると、低調なレースではあるが。
驚きは木村さんの6時間13分ゴール。初マラソンの上、これまで練習は10`を1回走っただけという乱暴な挑戦にしてはあっぱれである。最初、とばしすぎているのではないかと驚いたが、結局10`までは逸見さん付いていき、その後一人旅になった後もハーフまでは走っていたと言うからびっくり。後半は歩いたとしても、初づくしで練習なしでは立派である。
02 12 22 午後 12:27 大藪池9周     21.5 01:56:34 5:25 11.06   普通 155 198 188 ホノルルマラソン以来のランである。ホノルルマラソンでは痙攣が来なかったため、ダメージが余り無く、すでにホノルルマラソンの影響はほとんどなくなっている。
距離を稼ごうと、最初からハーフ相当の9周を走る予定を立てた。とはいえ、5周目あたりから何となくかったるい感じを抱き始めたが、まさに我慢しながらの走りであった。フルマラソンのときや、普通のレースの時には、興奮しているからこういう倦怠感というか飽きというか、マイナスの感じは抱かずに済むのにやはり1人で走るのは、それだけ忍耐力がいるということか。逆に、1人で走ることが、通常以上の精神的負荷として鍛錬につながるのかも知れない。
暖かかったからは、今日は結構たくさんの人が走っている。4人ほど走っていた。昔よく出会ったスマートなおじいさんとも7周目あたりに出会い、その後、最終まで何度もすれ違い挨拶した。
LSDのつもりだったので、ペースはごくゆっくりだったが、フルでのレースペースというつもりで走っていた。その結果、ほとんどペースには変化がなく、`5分半程度で走ることができた。1周12分39秒が`5分半である。
7周目あたりになると、かったるさは精神的に軽くなってくる。9周目に最大巡航速度での速いランを予定すると、何となく楽しくなってくるのである。8周目も、「次は思いっきり走るんだ」と考えていると、1周があっという間である。そして9周目。しっかりとストライドを伸ばし、腰を入れて走り始めた。しかし、やはりそこはすでに20`近くも走っているので速度はあまり出ない。ということで、ようやく`5分を切っただけというところである。ハーフのレースでは、`4分45秒ペースで走り通すのであるから、やはり練習では、気合いが入りにくいということか。

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