ichikiyoのランラン日誌--2002年5月

時間帯 スタート 場所 天候 気温 距離 所要 速度分/Km 時速Km/h ペース 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
02 5 2 午後 2: 5 大藪池階段4周+池1周 晴れ 快適 16.2 01:39:03  6: 6 9.81   快調 147 184 178 今日から連休後半に突入。平日を一日混ぜたのである。そこでゆっくりとランとなった。前回に続いて坂登を、しかもたっぷりとしようと意気込んで開始。結局、坂登を4周した上、ラストの1周を坂抜きでのスピードランとした。4周の坂登はさすがに疲れたが、それでも5周目の坂抜きでのスピードランは10分25秒とまずまずの速度である。これだけのエネルギーが残っていたというのもうれしい。
この坂では、時計回りのせいか、最初に階段を登り、下りは坂というパターンであるが、通常のレースではこのような階段はないので、むしろ逆周りの方が良いのかとも思う。但し、北丹沢山岳耐久レースなどの登山競争ではまさにこんな階段登りのようなものの連続なので、そちらようにはこういうコースも良いのかもしれない。なかなか、一筋縄では行かないが、結局は登りをどの程度こなしたかで決まるのか。
坂にとりつかれたようになり、最近はセントラルに全く行っていない。行き始めるとこればかりという、悪い癖が出ている。練習にも安定感がほしいところである。
池の周りはたくさんの人が散歩していた。自分のような連休中の人もいたのかもしれない。といっても、いつもどおり中年以降の婦人が圧倒的に多い。
02 5 4 11:20 軽井沢大竹しのぶジャスコ 晴れ 快適 10.6 01:01:43  5:49 10.3   快調 151 180 186 坂を上って行幸碑経由で大竹しのぶ、下って横道下から1000メートル道路を西武経由で田崎美術館、上原ジャスコ、18号を上って借宿東を上るコース。これを今度からかぐや姫と呼ぼう。
最近の坂登練習の成果か、行幸碑までの急坂も何となく登り切ることができ、最後の借宿東からの急坂も休む感じなく走り続けられた。やはり、それなりの成果は出ているのではないかと一人にんまりである。18号は大渋滞で、国道の坂を上り続ける中年の男を、物好きだなあと自動車の中から見物している視線を感じつつ走った。途中、この坂を必死に上っている2台の自転車を追い抜いた。18号程度の登りだと、軽快に走ることができる。それでも、自分に追い抜かれる自転車もだらしがない。もっと急坂なら分かるのだが。
携帯が折り畳みなので、スパッツにかける形で差し込み、電話携帯でのランとなった。これは、最近の池周回のパターンとなっている。終了後は、六角堂の大岩を使ってストレッチをした。
02 5 8 夜間   セントラル千葉 曇り 快適 10 01:01:10  6: 6 9.8   疲れている 149 189 172
水曜日だったためセントラル千葉へ。ちょっと待たされてからトレッドミルへ。ウ゜ァームを飲みながら、だらだらと走り始めたが何となくからだがだるい。最初の5キロを時速10キロ。その後、0.5キロを時速15キロ、0.5キロを時速8キロの組み合わせを3クール。これで8キロである。これでも大分だるい感じなので、次の0.5キロは時速7キロに落とし、そこから0.5キロを時速10キロ。ラスト9キロからの0.5キロは時速15キロとし、最後の0.5キロは時速7キロでジョグとした。
部屋が暑くて水分が採られるからなのか、どうも体がだるい。終了後もへとへとという感じでシャワーを浴びるのもやっとというような状態である。池周回の場合はこんなにだるい感じにならない。坂登をしてもである。しかもセントラルの場合はウ゜ァームなどの水分補給もしているので、気温が高くても脱水ということではないはずなのだが。逆に池周回の方がいままでは水分補給していないので脱水症状になりかねなかったのだから逆なのである。よく分からない。
仮説としては、(1) 昔言われていた水分を摂ると疲れるという俗説が実は正しかった、(2) 気温が高いので水分補給しながらでも脱水症状が始まっていた、(3) 脱水症状ではないが、気温が高いこと自体で体が疲労した。
さて、どれかが当たっているのだろうか。
あるいは、だらだら走ること自体が、疲れを呼ぶのだろうか。ちなみに、池周回などでは、きっちりと速度を上げて走った方が疲れないような感じがあるのだが。"
02 5 12 朝夕方 17: 3 大藪池4周 曇り 肌寒い 10 00:48:48  4:52 12.29   普通 154 185 184 夕方からのラン。走らないと体が気持ち悪いような感じがして、暗くなる寸前に走り出した。時間もないので初めから坂はあきらめ、池周回4周と決めて走った。イメージとしては最初にジョグで体を温め、その後、最大巡航速度を採るつもりでいた。
結構肌寒く、最初は、右足つま先は例によって段差様の違和感があった。1周すれば消えるかと思っていたが、1周しても簡単には消えてくれない。1周目はジョグ。キロ5分半の予定だったが、キロ5分25秒とほぼ予定度おり。2周目は4分半の予定で走ったが、これも4分31秒とほぼ予定通り。ここまでは極めて順調である。自分の速度をおよそ把握できる様になってきたのかもしれない。2周目が終わる頃までには、足の違和感はなくなっていた。3周目は若干スピードを落として呼吸を整えることにしたが、キロ5分に戻したつもりが4分48秒というのは若干感じよりも速いことになる。速度を出す練習をすると、全体に引っ張られる感じである。最後の4周目はそれこそ、目一杯を目標とし、できるだけキロ4分に近い速度を目指した。結果は4分15秒と、まあまあである。この速度で2.3キロの周回を走ったことになるが、自分としては結構の速度である。周回としては今までの最高に近いのではないかと思われる。
1周目は何となく足が重たい感じがしていたが、速度練習の結果、逆に足が軽くなったような感じがしたのはどうしたことだろうか。いつもジョグでたらたら走っていると、このような重たい感じの悪循環になるのかもしれない。積極的なスピード練習の意義を感じた次第である。
02 5 19 10:10 皇居内堀通り 快晴 相当暑い 30 02:52:00  5:43 10.46   普通 158 178 184 初めての皇居マラソンである。今年新設された東京シティマラソンへの申し込みに失敗してのリターン参加である。参加者の人数が少ないという逸見さんの話だったが、行ってみるとまあまあの人数がいた。湯川さんが佐倉陸協の関係でスタッフにかり出されていたのは毎度のことながら頭が下がる。鈴木先生が町内会のドブ掃除のために欠場。参加者は逸見・山口仁・河本・内海・宮本・中村の7人。開会式で突然、「あいこさまのご誕生おめでとうございます」を参加者に唱和させたのには慌てた。その後、レースが始まってからも、皇居に向かって君が代を合唱したり、皇居周回を南無妙法蓮華教を唱えながら歩く三人組などを目撃し、さすがに皇居だと驚いた。それにしても、マラソン主催者の挨拶でこういうことをするのはいささか配慮が足りなすぎる。
数日前の天気予報では雨だったが、次第に予報が上方修正され、当日は晴れ。朝の内は曇り模様だったが、次第に雲がとれて青空がのぞきだした。スタート頃には快晴の天気である。気温がぐんぐん上がり出す。
0キロの部に続いて10時10分に30キロの部がスタート。最初の1周はウォーミングアップのつもりでゆっくりスタート。混雑していて前に行くこともできなかったし。その結果、1周目が26分39秒もかかった。周回5キロと聞いていたので、これではキロ5分以上掛かっている。2周目、キロ5分を目指してアップする。前を行く逸見さんを抜く。しかし、思うようにスピードが出ず、2周目も26分を切れない。毎日新聞社のあたりから国立近代美術館、FM東京のあたりまでだらだら上り坂が続き、確実に歩を進めるとしてもどうしてもスピードが落ちる。その後、最高裁から警視庁かけての下り坂でもそれほどスピードが乗る訳でもない。ということで、速度的にはハンディのあるコースであった。それでも元気に走ることができたのは3周まで。4周目でがくっとスピードが落ち、のろのろ状態に。5周目周回では、この周回で終了したいと本気で考えていた。このコースは、30キロの部とか言いながらも、周回単位で記録をくれるので、いつでも辞められるという安心感があった。5周目の時には、誰かが先にやめていたら自分もやめようという気になってしまっていたのである。
しかし、すでに4周目途中で逆に追い抜いていった中村岩ちゃんも逸見さんもいっこうにやめる感じはなく、5周目終了時にはゴール付近に知人の姿は全くない。仕方なくそのまま6周目に突入。ただ、疲れもこれがピークで良くもならない反面、悪くもならない感じである。だらだらの走りを続ける。
昨日までの冷たい風の名残か、最初は冷たい風が気持ちよかったが、照り返しの道路上では、これに生ぬるい風が混ざる感じで、冷たい風、生ぬるい風が交互に来たりした。皇居の堀を渡る風は堀で冷やされてくる感じである。それが次第に生ぬるい風中心となり、最後の頃には冷たい風は滅多に来なくなった。更に日差しの照り返しがきつい。久しぶりに帽子をかぶり、しかもヒラヒラ付きの完全防備の帽子だったが、これがなかったらどんなに辛いことだろうかと思った。
結局、6周目はラストスパートを入れても5周目とほぼ同様の時間だった。疲れ果てて、最後、時計のスイッチを押し忘れてしまった。何となくフルを走ったようなダメージを感じていた。最後には左ハムストリングスに軽い痙攣も来てしまっていた。30キロは30キロだが、気温、ペース配分のミス、坂などが重なってのダメージであろう。
終了後は、事務員会議に出席の岩ちゃんと、水道橋行きの内海さんをのぞいて、東京駅地下のニュートウキョウ。その後玉の光へ。参加賞は、手提げのバッグ。男女で色違い。欠場の鈴木先生の分も貰ってきた。

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