ichikiyoのランラン日誌--2001年8月

時間帯 場所 天候 気温 距離 所要 速度
分/Km
時速
Km/h
ペ|ス 体調 脈拍AV. max pitAV. コメント
2001 8 1 夜間 セントラル千葉 晴れ 少し暑い 10 01:08:06  6:48 8.81 インタ|バル 疲れている 154 193 162 3キロまで時速12キロ(14:49)、その後の1キロを時速8キロ(7:30)、その後の1キロを再度時速12キロ(5:1)。これで5キロである。今日は最後まで時速12キロで引っ張ろうと思っていたのだが、何となく疲れている感じである。最初から足の芯が疲れている感じで、重い感じと突っ張っているような違和感が残っていた。走っている内に、これらは流れていくだろうとタカを括っていたが、今度はだるさがひどくなってくる。足自体の疲労感は若干づつ溶けていったのだが、全身のだるさ、疲れ感はだんだんひどくなってくる。脈を見ると、相当に上がっている。室内の気温が高いため、ダメージが大きいのである。
5キロからは時速7.5キロ、更に7キロ、更に6.5キロとどんどん落とし、最終的には時速6キロで歩き出した。これでどこまで脈が落ちるかである。1キロ歩き(9:13) 、次の1キロは時速8キロでジョグ(7:31)。次の1キロは時速6キロで歩き(10:0)。ここまでで8キロ。最後の2キロは、500メートルづつ時速15キロのスパートと時速6キロの歩きを組み合わせた。2:5 4:51 2:5 4:52。
水曜日なのに一旦はセントラルポートスクェアに行ってしまい、休みを思い出しUターンしてセントラル千葉へ。/セントラルの気温は、長丁場のランニングにはきつい。運動する際に気温が低いと怪我をしやすかったりするし、気温がある程度高い方が身体が動きやすい、薄着になれるなどのメリットがあるからだろうが、それでもランニングには不向きだ。もちろん、汗をかきたい利用者のためを考えたサウナ効果の点も見逃せないが、やはりそれでもランニングには不向きだ。ランニングは、低気温の中をじっくりと、長時間、長距離を走ることで、身体の隅々まで燃やしきることが理想だ。そのためには、気温は適度に低いに超したことはない。高いと、いくら水を補給していても、やはり脱水状態に陥りやすい。/と、ここまで考えてきて、逆に、このような高温の中で脱水状態にならないための訓練をすれば、他にも応用が利くのではないかと、ちょっと思った。つまり、高温下で、身体が水をほしがる状態をつくっておいて、どんどん水分を供給していく。これによって、身体はどんどん水分を身体の隅々に送る練習が出来る。水を飲むことは簡単なことだが、これによって身体の隅々にまで水分供給できるかは別である。身体にこれを覚え込ませ、いつでもできる状況にまで訓練しておく必要があるのだ。これをやる。うーん、そう考えるとセントラルの気温も案外役に立つかも知れないなあ。
2001 8 19 大菩薩峠登山競走大会 快晴 少し暑い 27 03:30:00 0: 7:46 7.71 登山 疲れている 138 181 135 オフィシャルの距離は15.7キロ。タイムは2時間48分、57秒。スタートから大菩薩峠頂上のゴールまでの標高差は1300メートル。初めての参加である。逸見・山口仁・中村の他、途中上日川までのショートコースに宮本さんが復活参加した(座骨神経痛克服おめでとう!)。千葉6時37分発のあずさでの遠征である。
この大会はいつも参加賞としてリュックサックをくれる大会として我々の中で一目置かれていた。逸見さんらは毎年、新しいリュックサックを手に入れては自慢げであった。行ってみれば、今年も立派なリュックサックである。なんと、自分が使っているリュックサックと色使いも形もよく似た兄弟シリーズかと見まごうばかりのかっこいいリュックサックで感激。これに大菩薩峠登山のイラスト風ロゴが入っていてまたかっこいい。初めてもらったリュックサックということもあったのか、大いに感激した。
登山とはいえ、途中に給水所があるし、ほとんどは自動車の通れるような舗装道路であると聞いていたため、準備はゼロ。いつもの10kやハーフマラソンと同じいでたちである。ところが、これがあとで反省材料となる。
舗装道路とはいえ、つづら折りの道路はきつい登りが次々と出て来る。初めは走っていたが、ついに歩きはじめ、斜度が緩いと思い出したように走る。これの繰り返し。自分と同レベルの周りの人々もみんな歩いている。走っても歩いても、速さはそう変わらないような感じでもある。きついが、とにかく登山だと割り切っているから、いつものレースでの登りのような愚痴はない。前に進む、我慢、これしかない。いつか時間が解決する、とにかく前進あるのみ。
しかし、途中でお腹が空きだした。考えてみれば、今日は、6時半頃、あずさに乗る直前に千葉駅の立ち食いソバを食べただけ。これもお腹に溜まるような量ではない。その後は何も口にしていない。寝不足だったので電車の中でも寝っぱなしで、心の準備も不足していた。9時40分スタートだったが、1時間もするとお腹がグーグー状態だった。しかし、給水所は文字通り給水所で、食べ物は何もない。水と、麦茶だけである。腹がヘッタ・・・恨めしい思いで、麦茶をがぶ飲みにした。
このレースは、終了後、お弁当をくれることになっていた。先にゴールした仲間が降りてきたら、一口貰いたいなあ、などと馬鹿なことを考えながら、必死に登っていた。途中、時間が立つにつれ、ゴールした人たちが上から降りてくる。手にご褒美のお弁当をもって走り降りてくる。早いなあと思いながら、お弁当がうらやましい。こんなに腹が減ったレースは初めてだ。フルマラソンのように、パンとかバナナとかの振る舞いがないかなあと、ひもじかった。
レースは、とにかく大菩薩峠頂上のゴールまで到達するというもので、その後は、下るのだが、これは自力で下るしかないにもかかわらずレース扱いせず。つまり、上下30キロくらいは走ることになるのである。その間、ゴール後にお弁当が出る。女子のショートコースのゴール地点に到達するが、我々は更に3.5キロある。この場所は平らになっているのでここで久しぶりに走ろうとした途端に両足のふくらはぎが痙攣してしまった。ほとんど第一歩で両足に来た。慌てて走るのをやめ、しばらくストレッチ。どうもガス欠状態が痙攣を誘発しているような感じである。もう走る能力がないのだと自分に言い聞かせ、開き直って歩くことに専念する。残りの3.5キロは急にきつい登りとなる。道幅も狭い。どんどん降りてくる人とすれ違う。そして福ちゃん荘の給水所。頂上は更に上だが、ここでお弁当が配られている。降りてくる人が貰っていた。後で聞くと、これから登るという人でも、ここでお弁当を貰っていたらしいということが分かったが、自分はうらやましそうにしながら更に上を目指したのである。頂上まで後1.5キロというところで降りてきた逸見さんとすれ違う。更に山口さん。頂上までもうすぐと思われる地点で後ろから来た岩ちゃんに追い抜かれた。岩ちゃんは至って元気そうで、自分と大違い。ひょいひょい登っていってあっという間に見えなくなった。
このころにはすでに低血糖症が進行していたようである。両手の指先がしびれていた。ガス欠状態である。ようやく頂上にたどり着いたが全く元気がない。頂上には岩ちゃんが心配して待っていてくれていた。頂上には山小屋があり食べ物も豊富だったが、いかんせん、いつものレースのつもりなので、自分も岩ちゃんもお金を全部おいてきてしまった。ビールを買っているランナーを見て、思わずお金を貸して貰いたいと思ってしまった。ところが、我慢して下り始めたものの、次第に両手の指先のしびれがひどくなり、震えるような感じである。身体に力が入らず、意識障害までは行かないにしても頭がぼうっとして身体がいうことを聞かない状態になってきた。左側は崖のような斜面になっているので、右側を歩くようにする。岩ちゃんが休んだ方が良いと行ってくれたので座って休んだ。すると係員の人が近寄ってきたくれて、低血糖のことを説明すると手のふるえを確認していた。しばらくすると登山者から貰ってくれた飴をくれた。これで少し元気が出る感じがし出した。ややあって岩ちゃんも飴とブドウ糖を貰ってきたくれた。これがおいしかった。これらをなめて座っていたらだんだん元気が出てきたので、再び下山。福ちゃん荘にたどり着く頃には相当元気を回復していた。待望のお弁当を貰う。おにぎりがとてもおいしかった。逸見さんと山口さんがここで待っていてくれた。山口さんが持っていたなけなしのお金でビールを買い分ける。ちょっと余っていたお金で逸見さんと山口さんはカレーライスも食べていた。その後の下山コースは舗装道路だったが、自分もすっかり元気を回復。みんなでレースのように走って降り、下山しているランナーを次々に追い抜いていった。
教訓。せめて飴とブドウ糖は忍ばせること。邪魔にならない。同様に、小銭も持っていくこと。来年はドジ踏まないぞ。
2001 8 24 夜間 セントラル千葉 晴れ 少し暑い 10 01:05:40 0: 6:33 9.13 インタ|バル 疲れている 153 188 172 5キロまでは時速10キロ。5日前の大菩薩峠レースの疲れが体中に残っている。特に、痙攣したふくらはぎを中心に足の芯に疲労が溜まってる感じである。今日はその疲労を流すためのランであるという位置づけで走り始めた。積極的休養という奴である。5キロ走ると身体がだるくなったので、そこから時速8キロに落として1キロ。これでもだるいので更に時速7キロに落として1キロ歩く。ここまでで7キロである。最後はインターバルとして時速15キロで300メートル、その後の700メートルを時速8キロのジョグでつなぎ8キロからも同様。最後の9キロからは時速15キロで500メートル。残りを時速7キロで歩いて終了した。
本当はポートスクェアのセントラルに行ったのだが、何故か休み。金曜日なので休みの筈はないと思っていったのに。多分夏休みの臨時休業なのだろう。なかなか利用しない自分にとっては、せっかく来たのにと、残念であった。仕方なくセントラル千葉に移動した。しかし、セントラル千葉は終了時間が11時と早いので、10時半の器具使用最終時間までに何とかギリギリ走り終わったような状態だった。セントラル千葉に行くのなら、やはり早い時間帯でないと落ち着かない。かち合ってしまうので、終了後のシャワーも混んでいるし、ストレッチなどもゆっくりしていられない。慌ただしくて、ジム特有の贅沢な時間のイメージがなくなるのが残念だ。
2001 8 26 第1回反核平和マラソン 快晴 相当暑い 10.5 01:20:53 0: 7:42 7.78 LSD 疲れている 137 178 168 第1回反核平和マラソンである。原水協、新体連千葉の呼びかけでランランランと、民医連の「走ラン会」が合流した。
花見川ジョギングコースを南下し、稲毛海岸のサイクルセンターを折り返した。参加者は26名と少な目だったが、埼玉では初めての反核平和マラソンは5人で敢行したとのことなので、千葉は進んでいるのかも知れない。お揃いのTシャツも作ってくれて、幹事さんの努力に頭が下がった。途中、スポーツドリンクの給水所も3カ所。なかなか本格的である。タイムは一切関係ないので、出来るだけゆっくりを目標に走り始めたが、ゆっくりのつもりでどうもランランランのメンバーは若干速すぎたようで、「走ラン会」の初心者メンバーが付いていけない場面なども。
終了後は、本日の目玉のバーベキュー大会。幹事さんの息子さん一家が大のバーベキュー好きということで、本格的な器材を持ち込み、料理から全部やってくれて、一同痛く感激。上手に焼けているおいしい肉・魚・野菜のオンパレードに舌鼓を打った。/いくらゆっくりとは言え、やはり真夏のランは汗をかく。汗っかきの逸見さんと山口さん、そして自分はいつものように大量の汗をかいてTシャツはぐっしょり。よく冷えた缶ビールがとてもおいしかった。/ランランランの参加者は、自分の他、逸見、山口仁、鈴木、河本、宮本、中村、陶山、内海、河野。岩ちゃんは二人の娘さんを連れての参加。民医連は二和病院の看護婦さんなど。健生病院は今回は参加がなかった。椎原さんの息子さんが、学生時代に陸上をやっていたこと、ハーフを75分くらいで走っていたことなどを聞き、皆で感心したりした。
2001 8 27 午後 大藪池4周 曇り 少し暑い 10 01:03:00 0: 6:18 9.52 LSD+レ|スペ|ス  快調       昨日の反核マラソンは、ほとんど遊びに近かったし、きちんと距離を練習する必要を痛感していたので、走ることにした。
夏休みも終了間際。久しぶりに池周回である。前回は、階段登りを交えた周回だったが、そのために3周でダウンした。今回は、久しぶりに、おとなしい古典的な周回にすることにした。
最初の3周は、全く人っ子1人、池の周りにいない。誰ともすれ違わないは、誰も追い抜かなかった。2周目に、中学校へ向かう車とすれ違っただけである。本当に静かだ。自分1人で池の周りを独占している感じで、こんなのも悪くない。夕方や夜だと、寂しいのだろうが、昼間なので、むしろ喧噪からの開放感が大きい。ジムでは決して味わえない感覚である。
あくまでも気の向くままのスピードで、ゆっくりと走った。/ところが、最終周に入るところで、グリーンベルトから若い男の子が周回道に降りてきた。そのまま自分の前を歩きだし、次の瞬間走り出した。自分もスパートしようとしていたところだったが、何となく追いかける形となり、そのまま若干上回るスピードのまま男の子をやり過ごし、更にどんどん離していった。いつもの自分のスパートのペースと比較しても、速かったのではないか。池奥の折り返回り込みでちらっと見ると50メートルほど後ろをしっかり走っていた。自分もペースを維持してそのままがんばり通した。
このようにライバルがいると、張り合いが出て頑張れる。誰もいなかった3周も良かったが、このようなライバルがいる1周も楽しい。
結局、最後まで力を抜かずに、ラストのスパートも決めて上がったが、さすがに帰りのグリーンベルト登りではほとんど歩きに近いようなジョグになってしまった。
2001 8 29 夜間 セントラルポートスクェア 曇り 少し暑い 10 01:03:58 0: 6:23 9.37 インタ|バル  快調       パルスグラフを忘れたため、脈拍データは無し。
最初の6キロを時速10キロ。次の1キロは時速7.5キロ。その後は、インターバルに移り、300メートルを時速15キロ、残りの700メートルを時速7.5キロを2クール。最後の1キロは、時速15キロで500メートル、残りは時速7.5キロでジョグ。
水分を取らずに走ったが、終了後は、相当きつかった。7キロ地点からのインターバルは、結構定着してきた。セントラルで10キロ走るのは結構飽きるので、この7キロ地点からのインターバルは緊張感が帰ってきて、良い。時速15キロは結構な刺激だし、この刺激の後のだらだらジョグは辛くない。最後の500メートル時速15キロも張りがある。一番無理のないところか。今後は、6キロからこのインターバルに切り替えたり、更に5キロからインターバルに切り替えたりと、だんだん前倒ししていっても良いか。ジムでのLSDは、飽きの観点からちょっと厳しいのかも知れない。

01年7月に行く

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